2012年1月22日 (日)

丹生酒殿神社から丹生都比売神社へ(三谷坂/勅使坂)

高野山には七つの入り口があり「高野七口」と呼ばれている。その七口に向けて東西南北からいくつもの参詣道があり、昨年から順番に登っている。今回は、JR和歌山線の妙寺駅から登る三谷坂(勅使坂)を麓の丹生酒殿神社からゴールの丹生都比売神社まで登ってきた。
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ここが丹生酒殿神社。そもそも丹生都比売さんはここに降臨されたらしい。

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境内にある鎌八幡。なんか鎌がささった木が痛々しい・・・。

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境内にある燈籠をみると「華岡瑞賢」の名が。もちろん、世界初の麻酔手術を執刀した名医「華岡青洲」のことだ。

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三谷坂の大半は、柿畑の中を通っている。柿は斜面でも育つはずなので、かつてここが棚田であったことがわかる。

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三谷坂のかなり上の方にある頬切り地蔵。地蔵として近所の人たちに親しまれてきたが、最近の調査で鎌倉期に作られた大日如来(北)阿弥陀如来(西)釈迦如来(東)であることが判明。この発見で、この参詣道の価値が高まり、現在、国指定を申請中だとか。それが決まると、世界遺産の追加指定になること間違い無し。皆さんも世界遺産になる前に是非!

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2時間ほどの超急坂(高野山はどの道も超急坂?)登山のあと急に里が開けてくる。ここが天空の里「天野」だ。

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ゴールの丹生都比売神社。最近、よくお参りしているのでいいことあるかも・・・。

2011年12月10日 (土)

皆既月食

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皆既直前まで雲が厚く、どうなることかと思ったが、無事晴れてくれました。
皆既月食をこんな風に快晴の空の下でじっくりみたのは何年ぶりだろう。
たしか、みさと天文台に勤めていたころに、天の川の中に浮かぶ赤い月を
見た覚えがある。
今日の赤い月は、この写真のように(クリックして拡大してください)、
おうし座の中にいた。まあ、肉眼で眺めるだけでいいかと思って、
機材を持ち帰らずに、普通のカメラで三脚もなしで、地面に置いて撮ったので、
このアングルしか解がなかったが、最近のデジカメはよく写るものだ。

久しぶりに天文ファンになって月食を撮ってみた。

そう言えば、小学校のときに月食のスケッチをして学校に持っていったら、
先生に褒められて教室にはってもらったことがある。これが私の最初の
天文観測だったような気がする。

2011年11月14日 (月)

はやぶさ賛歌〜おかえりなさい

和歌山の万葉歌人の永廣禎夫氏からいただいた歌をもとにこんな音楽を作ってみました。

作曲は惑星科学者である中串孝志さん。和歌山大学の教員です。そして、歌とピアノは、JAXAのビデオ「祈り」でも使われているはやぶさの準公式テーマ曲?"Lullab­y of Muses"のボーカリスト、中谷泰子さん。レコーディングは2011年11月11日に和歌山大学観光学部のスタジオでプロデューサーの尾久土が行いました。実写映像はU­streamで世界中に配信された和歌山大学宇宙教育研究所のものです。せっかくなので、そのときの実況音声(うっすら"Lullaby of Muses"の音楽も聴こえています)も消さずに入れてみました。もちろん、CGは、皆さんおなじみの和歌山出身のスペースアートクリエイターの池下章裕さんです。

"Lullaby of Muses"ではJazzではやぶさの旅を表現してみましたが、今度は万葉歌人の詩をこんな風な唱歌にしてみました。皆さん、いかがでしょうか?評判が良ければ、譜面も公­開しますので、多くの人に口ずさんでもらいたいと考えています。

秋の思い出・・・

ブログの方はすぐにご無沙汰になってしまいますね。そこで、またまた季節をまとめて紹介です。この秋の思い出特集です。もちろん、ここで紹介していないこともたくさん経験しましたが。

まずは、なんといっても高野山。
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この秋は5回も訪問しました。そのうちの2回はウォーキングで吉野からの「すずかけの道」、そして橋本からの「京大坂道」です。1回は、学生の卒論の関係で、残りの2回(2日連続)は、なんとダライ・ラマ14世の灌頂を受けるために訪れました。さて、少しは精神面も成長できたでしょうか・・・まあ、じわじわと効果が出てくるかもしれませんね。

次に東北・岩手。GWに沿岸の調査を行いましたが、それから半年後の同じ場所を訪問してきました。GWのころと比べると瓦礫は1箇所に集められ景色はすっかり変わっていましたが、復興という意味ではまだまだこれからといった感じでした。一歩、山に入れば美しい紅葉が印象的でした。季節は、人の世界とは関係なく進んでいくものですね。
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2011年9月24日 (土)

ホテイアオイ(藤原宮・本薬師寺跡)

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薬師寺と言えば朱色の鮮やかな伽藍を思い出すが、平城京の前の藤原京にまず建立されている。今では、2つの塔やお堂のあった場所に礎石だけが残るだけだ。そんな本薬師寺跡は今ではホテイアオイの名所として有名だ。これは自然に咲いているではなく、近所の畝傍北小学校の子どもたちが植栽してくれたものだ。きっとホテイアオイがなければ、この薬師寺の跡を訪れることはなかっただろう。小学生に感謝。

2011年9月 1日 (木)

夏の思い出

毎年同じことばかり書いているが、今年の夏も忙しかった。忙しさに慣れてきているので、若いころの忙しさと比べるとケタ違いなのかなと思ったりする。

今年の夏、大学を離れて一番長く滞在したのは共同研究をしている長野県飯田市とその周辺だろう。この地域の自然と文化を360度のドーム映像で記録する研究だ。

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ここは南アルプスの眺望が素晴らしいしらびそ高原の近くにある(といっても山道を1時間ほど歩いたが・・・)山の中の小さな池、御池。写真には写っていないが、アブの多さにはびっくりした。ということで夏以外の季節が良さそうだ(笑)

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続いて、御池山の山頂にも登ってみた。登山の趣味はないので、この手の標識があるような山の頂に立つのは半年ぶりだろうか?うーん、高校教師時代、林間学校の引率で登った大山以来?

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しらびそ高原から大鹿村の方へ下ったところに中央構造線の露頭があるというので帰り道とは反対に降りてみた。説明板にあるように、構造線を境にはっきりと色が違っていた。和歌山の構造線はいつ動くのだろうか・・・。

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せっかく大鹿村に来たのだからということで、映画「大鹿村騒動記」で話題の歌舞伎の舞台のある神社にも行ってみた。これだけ話題になっていても遠すぎるのか、観光客は少なかった。ちなみに、盆休みに帰省した際に、映画も観賞した。上映している館が少ない(和歌山はない!)が、お薦めの1本だ。

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そして、昨年の冬に徹夜で撮影した霜月祭が行われた飯田市下栗地区にある拾伍社神社に立ち寄ってみた。奉納した人の名前が書かれた半紙は今年の祭まで1年間、無人の社の中でちゃんと貼られたままだった。

2011年7月20日 (水)

トンボ鉛筆

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エアコン無しの網戸&扇風機生活をしていると、筆記用具まで懐古主義になってきた。たまたま、筆記用具を買おうとアスクルのカタログをめくっていると、懐かしい黄色いパッケージのトンボ鉛筆が目に飛び込んできた。1ダースが339円。購入したのは良いのだが、何十年も鉛筆を使っていないので、鉛筆削りもない。そこで、何十年ぶりかにナイフで削ってみた。不便も今の時代には楽しいものだ。

ちなみに、鉛筆の木材はどうなっているんだろうと、トンボ鉛筆のWebサイトをみてみると、北米産のヒノキを使っているらしい。植林をしながらやっているので環境に優しいとある。なお、鉛筆の加工の際に出た廃材で作ったグリーンな鉛筆もあるようだ。

どうせなら、日本の間伐材で作ればなお良いのだが・・・。

2011年7月11日 (月)

雑賀崎灯台から

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facebookに投稿したところ好評なので、ブログにも。
こんな美しい風景が大学から半時間ほどで行ける和歌山市内にある。万葉の時代からの景勝地ってやっぱり一流ですね。
それにしても最近の携帯電話(iPhone4)ってきれいに撮れますね(もちろん、腕が良いのもあるますが・・・)。

ヒノキのテーブル(天板)

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生まれ故郷の岡山県英田郡西粟倉村(ここにいくと「尾久土商店」​や「尾久土整骨院」の看板を見ることができる)が、最近、森林を​上手にむらづくりに活用して注目されている。その結果、全国各地​からのUターン、Iターンが増えているようだ。その中心的な活動​が、西粟倉・森の学校。ここでは間伐材を使って様々なオリジナル商品を展開している。そ​んな頑張る故郷を応援しようと、ヒノキの間伐材のテーブルを買っ​てみた。研究室に置いたところ、部屋がヒノキの香りで心地良い!​そのうち、床も間伐材でフローリングしようかな・・・

2011年6月29日 (水)

12m電波望遠鏡のファーストライト

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7月7日の竣工を目指して最後の仕上げ中の12m電波望遠鏡の焦点に、今夜初めてフィードが取り付けられ、天の川からの電波を受信した。望遠鏡では初めて光を入れることをファーストライトと呼ぶが、電波も光の仲間なので、ファーストライトでいいだろう。
これまでは、30kmほど離れたみさと天文台の8m鏡での観測だったが、やはり大学キャンパスにある望遠鏡はありがたい。研究室から徒歩1分で到着だ。頑張って多くの成果を出さなければ!

ちなみに、この写真は受信した電波を横軸周波数のグラフ(スペクトル)に表示したものだ。この形を見て美しいと感じるのが理系なんだろうか?

2011年6月23日 (木)

夏の研究室

前線が東北まで上がって梅雨明けのような天気になっている。和歌山では30度超えの真夏日だが、アメダスをみると今日もどこかで35度超えの猛暑日になりそうな雰囲気だ。連日の真夏日が続く真夏に向かって、日本人がどこまで頑張れるか試されている気がする。

こんな日、周りの研究室をみると部屋の照明がついて、入り口が閉まっている。たぶん、エアコンが入っているのだろう。私の部屋だけがドアが開放され、暖簾が廊下に向かってなびいている。せっかく網戸がついているので、ドアをあけて風を入れている。エアコンの代わりに扇風機だ。

もちろん、暑い。でも、今日の風は悪くない。水分(ぬるいお茶やぬるいコーヒー)は十分にとるようにしている。冷蔵庫が欲しい気もするが、今年の夏は入れる気分にならない。そう、ここで快適さを求めては、この震災がただの被害と犠牲だけに
終わってしまう。

実は、何年も前から、ほとんどエアコンを使わず、昼間は蛍光灯も付けずに仕事をしてきたので、これ以上、削減するところがないのだ。震災前から脱原発生活なのだ。そうなると、周囲の人たちにこちらの仲間になってもらわなくてはいけないが、それがなかなか難しい。

そこで、若い学生たちを一人でも多く、こちらの仲間に誘ってみようと思っている。私が、大学生のとき、大阪市の都心の天王寺にあった研究室はもちろん、エアコンなどなかった。35度を超したある日、指導教官のY先生は白いランニングシャツで、バケツに水を入れて、雑巾を浸して、扇風機の前においていた。自作の冷風機だ。私も、もう少し暑くなったらやってみようかと、30年前の天王寺分校の研究室を思い出していた。

2011年5月11日 (水)

昨夜のまさに直下の地震(和歌山市)

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昨夜、22時ごろ和歌山市で震度4の地震があった。

どーん(がーん?、バシーン?)と3階建ての鉄筋コンクリートの宿舎に 何か車でもぶつかったかのかと思う音と揺れだった。 P波もS波も区別がつかなかったので、直下だとすぐわかった。 揺れ幅は小さいものの加速度という意味では強かった気がする。

この画像はそのときに気象庁が発表した震度マップだ。 地図をみると、まさに、直下、それもごく浅いようだ。あのガーン、ドーンという音は 直下の断層の割れた音だったのだろうか・・・ 直下だけあって、余震もそのあと続いた。

阪神のとき、その少し前に確か川西か篠山のあたりで震度4程度の前兆があったような気がしている。 これが、何かの前兆でないことを祈りたい。 とにかく、1995年の阪神、2001年の芸予(このときたまたま広島に)以来のびっくりする揺れだった。

我が家に地震計があれば、震度4を超していた気もする・・・

2011年5月 9日 (月)

浜岡原発の停止後の日本

菅首相が要請した浜岡原発の停止について世間は賛否両論だ。
反対している人たちの多くが電力の不足をどう補うのか?と不安を持っているようにみえる。また、中電もその分を補うためには燃費の高い火力を使わなくてはならないので、赤字転落になると考えている。

しかし、必要な電力はそのまま使うことにして、不要な電力、使わなくても良い電力を節電することで浜岡なしの電力で、さらに、もっと少ない電力で成り立つ社会に変えていけばそれでいいように思う。もちろん、電力会社はたくさん使ってくれることで儲けは増えるのだろうから、売上は下がるだろう。

中電のエリアには日本の経済を支えるモノづくり企業が集積している。その工場が停電のために操業停止になるようではいけない。日本にとって本当に必要な電力はいくらで、あった方がいいがなくても良い電力はいくらで・・・と、計算して新しい日本に生まれ変わることができれば、なんとかできるのではと思っている。そのあたりの本当の値を早く示して欲しい。

2011年5月 2日 (月)

岩手に行ってきました

4/30-5/1の1泊2日で岩手の被災地に行ってきた。本学の防災研究教育センターのスタッフが先に調査に行ってきたのだが、その際、360度撮影できる我々のカメラで撮影し、ドームシアターで上映してこそ、この惨状を伝えることができると言うことになり、急遽行くことになった。GWだったので空きのある飛行機は、行きが4/30の臨時の夕方の最終便、帰りが5/1の同じく臨時の夕方の最終便しかなかったので、滞在時間24時間で回ってきた。

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GWでボランティアで混雑するということで、宿を4時に出発して最初に入ったのが釜石。大きな船が陸に乗り上げていた。手前の車の屋根の上にある赤い装置が我々の持ち込んだ全方位カメラ。

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津波のあとの火災で焼け野原になった大槌町。自衛隊のジープが行き来していたので、戦災に見えてしまう。東京や大阪の空襲のあとをこの眼で見たことはないが、きっとこんな光景だったのだろうか・・・。 R0011833

高さ12.5mの防潮堤の説明板の向こうに崩壊した堤と、津波の入った集落が見えている。「避難に勝る防護なし」という青い文字がこの被害をバックに説得力を増している。

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陸前高田の被災地はとにかく広かった。何が起こったのだろうかと思うほどであった。地盤沈下の影響かあちこちに水が溜まっていた。

2011年4月21日 (木)

一本桜

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最近まで、花見というとソメイヨシノが公園中に咲きほこる中、花の下で飲食することだと思っていたが、昨年の春から長野県の飯田市に点在する桜の名木を1本ずつドーム映像に収録する仕事をしている。この週末は、この杵原学校のシダレザクラを夜明け前から夜までずっと記録していた。仕事なので、色々気は遣うが、よく考えてみるとなんと贅沢な花見なんだろう・・・。

2011年4月 3日 (日)

太陽の塔

毎回楽しみにしていたNHKの「TAROの搭」が今夜終わった。岡本太郎の生誕100年ということで、国立近代美術館で特別展が開催されたり、このようなドラマが放送されたりと、盛り上がっている。

小学校4年のときに大阪万博を大阪府民として体験した私にとってこのドラマはタイトルからして録画してでも見たいと思った。しかし、正直言って、岡本太郎本人やその作品を意識して見ることもなく、TVでみた晩年岡本太郎の印象から変な芸術家だとしか思っていなかった。

ところが、初回を見て、彼への印象は大きく変わった。万博をリアルタイムに体験していながら、当時はまだ新聞を読む年齢でなかったために、彼が発した文言を知ることができなかった。

ドラマにも出てくる

「人類の進歩と調和なんてクソくらえだ
人類は進歩なんかしていない
たしかに宇宙へ行く科学技術は発達したが
肝心の宇宙を感じる精神が失われているじゃないか
・・・」

このメッセージは、まさにその後の40年後の今を案じていたかのように思えた。
私たちは、科学技術の発達で、自然を感じる精神を失い、自然への畏怖を忘れてきたのではないだろうか?

最終回を観終わったあと、小学校のときに見た太陽の塔のことを思い出してみた。
後にTVの画面から印象づけられた変な芸術というよりも、お祭り広場の大屋根を突き破って立つその姿は子供心に格好良く見えた。

いつになるわからないが、忘れないうちに、万博公園に行ってみよう。
間近で搭を見上げて、彼の現代人へのメッセージを感じてみたいと思う。
東日本大震災から復興する今、大切なメッセージが含まれている気がした。

2011年4月 2日 (土)

「高台に家、漁港へ通勤」「エコタウン」首相が復興構想

震災の直後に私も提案した政策が動き出したようだ。
いろいろ、課題はあるだろうが、ぜひ実現してほしい。
東海〜南海の沿岸は被災する前に実行してほしい。

2011年3月25日 (金)

大きな誕生日プレゼント?

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津波とその後の原発事故で関東以北の皆さんは落ち着かない毎日だろう。お見舞い申し上げます。

和歌山は天気も良く春の日差しが気持ちいい(花粉さえなければ外で食事をしたい気分だ)。今日3月25日は、電気記念日。今年ほど、国民が電気について考えたことはなかっただろう。

この電気記念日は、実は私の誕生日で、そして今年は50歳の誕生日なのだ。
もう半世紀も生きたのかとちょっとびっくりしている。

そして、今日、観光学部の1期生が卒業する。試行錯誤で講義や卒論指導をやってきたが、少しでも社会に役立てばと思う。

さらに、もう1つ。偶然だが、今朝、キャンパス内で組み立て工事をしていた口径12mの電波望遠鏡が完成した!完成といっても組み立てが終わっただけで、制御システムや観測システムは、来年度にかけてチューニングし、おそらく夏ごろに最初の宇宙電波を受信することになるかなと思っている。

ということで、50歳の誕生日に、最初の卒業生と12mの望遠鏡の完成があった。私にとっての社会への貢献は、社会で役に立つ人材を育てることと、この望遠鏡を使って新しいチャレンジをすることだ。

これからも和歌山大チームをよろしくお願いします。

2011年3月12日 (土)

地震に強い日本に

東日本で被災された方にお見舞い申し上げます。また、犠牲になられた方、ご冥福をお祈りします。

まさか、東北で、東海=東南海=南海の同時地震のような巨大地震が起こるとは誰も予想していなかっただろう。今は、一刻も早い救出に全力を投入し、そのあとの復旧の準備をすることが重要だろう。

私たち和歌山に住む者にとって、この災害は来る南海地震の怖さを実際の鮮明な映像として知ることになった。

これからの東日本の復旧はもちろん、関西の沿岸部の災害対策として、この際、日本列島改造論のような大胆な公共事業をする必要があるのではないだろうか?今、被災した町を復旧しても、100年後にはまた被災する可能性がある。また、和歌山の沿岸部も数十年以内に間違いなく、今TVで見ているような光景になるに違いない。

それなら、今のうちに、そう10年かけても良いので、沿岸部の町を高台に移転させるという思い切ったまちづくりを考えてはどうだろうか?空き地になる平野部は、大規模な農地にすれば良い。そうすれば、TPPで問題になっているような小規模農業の問題も解決する。さらに、日本全国で数十年かけて沿岸部の町を移転させる事業を始めれば、当分の間、大規模な景気対策になるのではないだろうか?

NZの災害をみても、そもそも沖積平野は地震に弱い。
そこは人は寝る場所ではない。農地にして、人は高く硬い台地に移転すべきだろう。
先祖代々の土地を守るということは理解できる。しかし、多くの人命を失ってまで守るものではないだろう。

まあ、このブログで書いたところで重要な人物は誰も見てくれないかもしれないが、忘れないうちに、そう、真面目な話ので、署名入りにしておく。

和歌山大学観光学部地域再生学科 教授 尾久土正己

2011年3月 2日 (水)

世界遺産ではない熊野古道を歩く

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この日曜日、久々にウォーキングイベントを実施した。
今回は、熊野古道。ただし、世界遺産に指定されている有名な古道ではなく、
和歌山市内にある「ただの道」が今回のコースだ。

熊野古道と言うと山の中を通っているイメージがあるが、そもそもの起点は
大阪市内にある。もちろん、古の姿のままの道ではないが、ほぼ後鳥羽上皇たちが
通ったコースに沿って、今そこにある生活道路を歩いてみた。

出発地点は和歌山線の布施屋(ほしや)駅で終点は紀勢線の海南駅だ。
距離にして約17km。花粉が飛んでいたのが不快だったが、コース自体は
初心者向けの楽な道だった。

皆さんにも生活の中に残る街道を歩くことをお薦めする。
車では気づかない地域の魅力がわかるはずだ。

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  • 森
    私がふと気になった風景を切り取ってみました。